
大慈院での「夜空の坐禅」
大慈院の下に塔頭の碧玉庵が出る。天保元年(1830)の地震で堂宇に被害を受けたが、その後古材を持って再建。
現在、本堂前庭にある紫式部碑は、寛政7年(1795)に紫野御所田町の式部の墓の傍らに建立する予定だったのが、故あって碧玉庵に建立され、明治維新により同庵が廃寺になったときに移されたものと伝わる。碧玉庵にあった立花宗茂の位牌や墓、肖像画も当院に引き継がれた。大正13年に裏千家12世惺斎と裏千家13世円能斎の監修によって建てられた茶室「頓庵」がある。
大慈院で行われる坐禅体験は、体操と共に行います。広い濡れ縁越しに庭を眺めながら坐禅をした後に体操を行うことで、体操をする前との身体の感じ方の違いがよく分かります。
体操は住職も一緒に本堂の畳をいっぱいに使って行います。
2022年9月より「夜空の坐禅<坐禅と食事>」と題して、お食事付きで開催いたします!
体験の様子
夕暮れ時。
仕事帰りにお寺へ集まります。
僧侶のお話とまずはじめに坐禅を組んでみます。
「身体をほぐしていきましょう」と体操。
身体を動かした後の坐禅は感じ方が全くことなります。
最後は参加者同士の交流やお坊さんに普段の疑問をぶつけます。
開催概要
会場 | 大徳寺大慈院 (臨済宗 大徳寺 塔頭) / Daijiin Buddhist Temple 〒603-8231 京都府 京都市北区紫野大徳寺町4-1 >>【Google Map】 TEL:075-492-2958 |
---|---|
アクセス | 地下鉄烏丸線北大路駅より 北大路バスターミナル青のりばから市バス1・204・205・206系統 約10分 「大徳寺前」下車 徒歩すぐアクセス ※地図で見ますとバス停「建勲神社前」が近く表示されますが、民家の中を入っていく事になるため、 「大徳寺前」より総門か南門を通ってお入りください。 ![]() |
開催日 | お寺のご都合により変更となる場合がありますが、水曜日に開催しています。 2022年度スケジュール 9月2日(金)※満席 10月7日(金)※満席 11月4日(金)※満席 12月15日(木)※満席 2023年度 1月20日(金)12月11日〜受付開始 この日のお食事は住職の精進料理 |
当日の流れ | 18:45~受付開始 19:00~19:30 坐禅1回目+体操 19:35~20:00 坐禅2回目 20:00~21:00 お茶と食事 僧侶と交流会・参加者同士の交流会 解散 |
ご連絡事項 | 坐禅前後にストレッチと体操を行います。寝転んで脚を上げる動作がありますので、女性の方も裾が広がらないレギンスやヨガパンツなどがおすすめです。 男女別の着替えのお部屋がありますので、Tシャツにスラックスなど動きやすい格好でご参加下さい。 また、坐禅は素足で行います。 |
よくあるご質問 | Q.途中参加/退席は可能でしょうか A.可能です。ただ坐禅中はご参加頂けませんので控室でお待ちください。 Q.自転車で来ても大丈夫ですか? A.大徳寺総門前に停めて頂けます。 Q.食事の提供はありますか A.坐禅後にお菓子の提供がございます。 Q.外国人は参加できますか A.問題ありませんが、通訳はつきません。 |
ご参加予約
ご予約はこちらから | こちらからお申し込みください |
---|
夜空の坐禅<坐禅と食事>公式サイト
朝坐禅
インタビュー
坐禅指導 戸田 惺山(とだ せいざん)住職

<仏門に入られたのは奥様と結婚することになってから、と聞きましたが>
子どもの時、山のお寺で坊さんにならないみたいな、ことを言われて。その後、高校時代に体を壊したことをきっかけに坐禅したりしていて、一回修行してみたいなっていう気持ちはあったので、そんなに戸惑いはありませんでした。
仏教って何を言っているのかよくわからないじゃないですか。般若心経一つにしても、何言ってるかはっきりわからない。それを死ぬまでにちょっと知ってみたい、と思ったんです。
<会計事務所勤務を経て、和尚さんとしての今の生活はどうですか?>
小さくマイペースでやれてるのは幸せなんかなって思います。大きい働きはしてないけど、自分にあったサイズで、やってますね。
だからパワフルな和尚さんやったら、ものすごい数の人を集めて、色んなことされてるんですけど、多分私のサイズだとこの本堂の大きさくらいなんです。
それでちょうど良かったなと思っています。

<坐禅することの良さってなんですか?>
今はいっぱい情報が入ってきて、頭の方もしんどいんやないんですか?そういう時には坐禅したら良いと思います。一回ちょっと置いてみる。
目標をきっちり設定した人生って言うのかな、あるべき自分、私という意識自身が大きなストレス。だからたまにお酒を飲んで、自分を忘れる。
坐禅で何も考えない時間があるとスッキリすると思うんですけど、一種の自己防衛反応と深く「私」という自己意識は結びついてる。それ自体がすごく重たい。
だからいっとき忘れる、自分を忘れたとこがベースだと思ってるんですよ。生物としての存在の上に「私」という意識が乗ってる。それを忘れるのもいいんかなと。

夜の時間・場所を楽しんで帰ってもらったら良いなと。
持って帰ってもらうものは特にないけど、ちょっと重たい色々考えてたものを忘れてもらったら良いんかなって。
私たちの坐禅は何かを得るというよりは心を落ち着けて、フラットにして帰ってもらえたら。
永平寺の道元禅師が「仏教を習うということは自分を忘れるということですよ。」と言ってるんですけど、忘れるっていうのが良いなって思ってて。よく「無」とか「自分を無くす」っていうんですけど、自分を無くせはしないと思うし、無くならないと思うけど、いっとき忘れる。
そういう体験をしていただけたら、まさに仏教なのかなと思います。
<戸田さんにとっての「禅」とは?>
狭義の禅っていうのは、要は心の波が収まった状態、あるいは行為そのもの。いらんこと考えんと、料理するとか掃除するっていうことが禅なんですけど、まあ、そういうものを体験して、みんなが生き生きと楽しんで人生送っていただけたら、それが禅。
なかなかしんどいことばかり、楽しめないことも多いけど、せっかく生まれてきたんやから、この世の中を楽しんで生きるようになれば良いなあと思っています。
そういう一つの助けになれば良いのかな。
ニコニコしてたら、禅じゃないのかな。