【中村楼】洗練と風格、今も昔も文化の中心地であり続ける祇園の料亭

▼「中村楼」の創業は室町期と伝わります。当初は八坂神社門前で腰掛茶屋を営み、やがて豆腐料理や、菜飯、酒を供して、江戸末期には京都屈指の料理茶屋(料亭)の一つとしてその名を馳せています。特にこだわりの木ノ芽味噌の豊かな風味と、やわらかい豆腐からなる「田楽豆腐」は名高く、その調理の模様は都の名物でもありました。

京都屈指の歴史を誇る同店ですが、時代に応じて常に進化を遂げています。
今回は「中村楼」の13代目である、専務取締役・辻喜彦さん(以下、T)にお話をうかがいました。
※本インタビューは2017年1月に行いました

創業480年超の「中村楼」のルーツとは

ー こちらは480年ほどの歴史がありますね。場所は創業時から変わっていないのですか。
T:そうですね。茶店が発祥でして、元々腰掛茶屋として八坂神社の門前でしていました。そこで田楽豆腐、いわゆる祇園豆腐と言われているのですが、それが名物となって、後に料亭が出来ました。

ー 田楽の発祥であるとうかがったのですが。
T:他の茶店が団子を売っている代わりに、うちは田楽豆腐を売り出しました。当時はお砂糖が貴重で、一般の方が甘いものを食べられない中、白味噌を使って田楽で焼いて食べるというのが、甘味として流行ったのでしょうね。

ー その田楽のレシピなどは、代々受け継がれているのですか?
T:受け継がれていますが、480年前の味と今の味とではだいぶ違うでしょうし、甘さも今の方が甘いと思いますよ。これだけの甘さは当時は出せなかったでしょうし、時代に応じて少しずつ味は変わっているのではないでしょうか。

ー 当時から八坂神社へ参拝された方が来られていたそうですが、今も変わりありませんか?
T:そうですね。私達は八坂神社と共に歩んできましたので、できるだけ参拝の方に喜んで帰っていただくという事が、代々の習わしと言いますか、ごく当たり前にしてきた事です。

 

ー 料亭や割烹でも田楽は出されていますか?
T:料亭は昼夜ともに。割烹は夜だけなのですが、大体コースの1品に田楽料理が入っています。本来は焼いた豆腐に味噌を塗ったものですが、例えば夏などでしたら、冷たい豆腐に柚子味噌などを塗った変わり田楽などもしています。

 

ー おいしそうですね!
T:元々田楽は料理屋で出すものではなく、茶店で旅の途中にお団子代わりに食べてもらうというのがのルーツですので…。皆さんにもぜひこの場所で味わって欲しいですね。

 

歴史の舞台の今、そして未来

ー 中村楼さんのお客様には歴史的に有名な方も多いそうですね。
T:伊藤博文や坂本龍馬も田楽豆腐を食べていますし、料亭にも来られています。大正天皇のお母さまも長らく滞在されていたり、古くはオランダの商人がここに寄られたり…。
ロシアの皇太子ニコライ二世をここで接待された事もあります。

ー まさに日本の歴史の舞台ですね。
T:歴史的に一番有名なのは、坂本龍馬が暗殺される前にここに立ち寄っていたという事です。坂本龍馬が履いていた下駄は茶屋の下駄だったのです。当時は「中村屋」という屋号だったのですが、その屋号の焼き印を押した下駄を履いていました。

ー それは坂本龍馬が近江屋に行く前ですか?
T:その食事をした前日にこちらに来ていたので、うちの下駄を借りてと言いますか……。

ー 史実として記述があったという事ですよね。
T:書物にも残っています。私達ってうろ覚えと言いますか、「大体来たでしょ」というような感覚があるのですが、今言った事は文献に全部残っています。例えば坂本龍馬を調べていらっしゃる大学教授の方が私達に教えに来てくださる事もありますし、今でも調べに来られる事もあります。

ー 「中村楼」さんの創業家は同じ方なのでしょうか?
T:私は辻と申しますが、辻家が元々継いできました。私の祖先が始めたのでしょうね。私が13代目ですが、これは初代から数えての事で、本当はさらに5代位前があるのです。本当は18代位なのです。5代前までは「辻重左衛門」という名前を南座で襲名していたのですが、襲名をやめようと言ったのを最後に13代なのです。480年で計算が合わないと思いますが、18代ほどあります。それより前の歴史は残っていません。

ー 本当にすごい歴史ですよね。
T:ずっと辻家でやっています。

ー これほど歴史が長いと、伝統を守らなければという使命感のようなものがあるのですか。
T:使命感といいますか、自然と入ってきます。例えば、実は京都で一番最初に洋食を出したのが「中村楼」なのです。東京の日比谷公園をまねて、明治19年(18861年)に造られたのが京都の円山公園でした。その時に外国人のお客様が京都に来られるという事で、京都市から「洋食を作って欲しい」という要望がありました。その当時はホテルなどの無い時代ですよね。そこで、うちが一時期洋風の建物で洋食を出していた時代があったんです。
 ごく自然に、時代に応じて攻める所は攻めて、守る所は守るという感じです。

【DATA】
「中村楼」
所在地:京都府京都市東山区祇園町南側509 八坂神社鳥居内