人生は楽しい、だがその裏には苦しいこともある。楽しい側だけを見てGoing My Way

相手の思う「つぼ」にははまらず、自分の「つぼ」に相手をはめる。
今の自分は過去の自分の結果である。焦らずに楽しく素直に生きる。

【連載】私のターニングポイント 
①増田德兵衞さん(増田德兵衞商店 十四代目当主)

▼京都で活躍する人のターニングポイントにスポットライトを当てたインタビュー企画。
記念すべき第1回目は代表銘柄「月の桂」で知られる「増田徳兵衛商店」の14代目当主であり、現在伏見酒造組合理事長、日本酒造組合中央会監事・京都国際観光大使、ユネスコ世界遺産の和食文化国民会議理事を務める増田德兵衞さんにお話を伺いました。

人生年表

・20歳:初めての海外ドイツ、ハンガリー、ブルガリア 〜ワインに魅せられて〜
・28歳:NYで得た確信
・36歳:ついに社長に。大きな改革へ
・そしてこれから:来た人に夢を与える環境を

20歳:初めての海外〜ワインに魅せられて〜

ーまず、ご自身の人生を振り返って「ターニングポイント」と思われる時期を教えてください
M:私のターニングポイントは大きく2つあると考えています。まず一つは20歳で初めて海外に出たときです。海外のワイナリーでワイン造りを経験した時にとても衝撃を受けました。

ー家では日本酒造りを手伝われていたかと思いますが、海外の酒造りは違ったのでしょうか。
M:全く違いましたね。お酒の説明の仕方というか、こうやったら勉強になるんだと分かりました。海外のお酒造りは日本よりも自然と共生しているのを深く感じました。学生時代は日本酒にあまり興味がなかったのですが、初めての海外経験で日本酒に対する思いはガラリと変わりました。

ー増田さんが海外へ目を向ける原点となっているのですね。

28歳:NYで得た確信

M:2度目のターニングポイントは着実にキャリアを積んでいったいた28歳のとき、「月の桂」をNYのパーティーで出す機会がありました。その当時日本酒といっても海外では熱燗で飲まれるくらいでそれはそれはひどい出され方でした。日本との大きな温度差を感じましたが、逆にここから海外の日本酒市場は爆発的に伸びるのではないかと思った瞬間でした。

ーそこから海外向けのマーケティングを考えだしたのですね。実際に動き出してみていかがだったでしょうか。
M:海外輸出に関しては考えたこともないし物流のノウハウも無い。全くの一からのスタートでした。海外向けの商品開発、地道な努力が必要とは覚悟していました。
一社ではダメ。やる気のある酒蔵何社かで協力して売り込んでいく必要があると思いました。

ー今は伏見酒造組合の理事長として他の酒蔵さんとの交流も盛んにあるかと思います。いわば競合となる他社さんとの情報共有は頻繁に行われているのでしょうか。

M:そこはとても大事にしています。伏見には醸友会というのもあり、それぞれの蔵の技術の交流、勉強会で、やはりそれぞれ単独でやるよりも他の蔵を知ることで得られることは大きいですね。例えばなかなか良いお酒が作れず困っていた酒蔵さんに杜氏を派遣して酒造りのノウハウを教えに行ったことがあります。そこから一気に売上が伸びたという事例がありました。自分たちが儲かることも大事ですが、業界全体が盛り上がることがとても大切なのです。

36歳:ついに社長に。大きな改革へ

ー14代目として酒蔵を継がれてからはどういったことから始めていきましたか。

M:社長になってからは古い体質をどんどん変えていきました。先代の頃から続いていた取引先を見直し、酒の味も納得行くまで杜氏と何度も何度も話し合いました。
色んな人に月の桂を知ってもらおうと、面白いネーミングのお酒も考えました。

ー確かに、定番の「にごり酒」や「柳」のほか「吃驚仰天(びっくりぎょうてん)」、「抱腹絶倒(ほうふくぜっとう)」、「把和游(はうあーゆー)」など、興味のそそられるお酒がたくさんありますね。またグラスで飲みたいお酒として「稼ぎ頭」もありますが、色んな種類を作ったのはやはり間口を広げたいという思いでしょうか。

M:そうですね。なかなか日本酒にスポットライトが当たらなかったので。ここ最近では日本酒ブームによって様々な飲まれ方をするようになりました。うまいこと「時流に乗る」ことは大事だと思っています。ただ流行を追いかけるだけではダメで、しっかりと美味しいお酒を作ることが前提としてあります。また、わからない様に変えていくこともしています。

ーなるほど、月の桂のお酒が老若男女に愛されている理由がよく分かりました。
ちなみにこちらのお酒には京都の酒米「祝」や「旭」が使われているお酒がありますが、酒米への考え方をお聞かせください。

M:京都のお米で作ることはとても大切にしています。ワインのように産地(テロワール)というものを意識して酒造りをしています。特に「祝」は30年ほどは酒米として栽培されない「まぼろしの米」とされてきました。「京都の米で京都の酒を」という合言葉のもと平成になって徐々にこのお米を使った酒造りが始まりました。今では組合の方針もあり、伏見や府下の多くの蔵で「祝」を使ったお酒を製造しています。月の桂でも祝を使ったにごり酒がニューヨークの四つ星レストランで使用されるほどになりました。

そしてこれから:来た人に夢を与える環境を
ー今後はどういったことを考えていますか。
M:子どもたちのためにもう一回転機を作りたいと考えております。技術の進化による酒造りの見直しはもちろんですが、酒蔵で働く人への労働環境の改善もその一つです。やはり酒造りはどうしても冬が一番忙しくなるので、ここはどうしても外せません。その代わり夏は長めに休みを取ってもらうなど、フレキシブルな働き方が出来るようになれば良いなと考えています。
つくり手が楽しんで造らないと良い酒は出来無いと思っています。来た人に「夢を与える」酒造りを目指していきたいですね。今では海外で日本酒を作っている人も増えてきました。今後はさらにレベルがあがり、ワインのように各地各国の特徴も出てくると思います。いろんな発想を以て、新たな日本酒を造る蔵も、今後ますます増えてくると思います。そういったところに負けないようにも業界でさらなるレベルアップを図っていかなけれいけません。

ー熱い思いを語っていただき、ありがとうございます。最後に若者に向けてメッセージをお願いします。

M:相手の思う「つぼ」にははまらず、自分の「つぼ」に相手をはめる。
今の自分は過去の自分の結果である。焦らずに楽しく素直に生きる。

人生は楽しい、だがその裏には苦しいこともある。楽しい側だけを見てGoing My Way

ー人生の格言、身に染みます。長い時間ありがとうございました。

【DATA】
増田德兵衞商店
住所:京都市伏見区下鳥羽長田町135