▼寛永14(1637)年、初代・大倉治右衛門が、城下町として発展し、宿場町・港町としてにぎわっていた伏見で創業。明治38(1905)年、勝利と栄光のシンボル「月桂冠」を酒銘に採用。その直後、清酒メーカー初の酒造研究所を創設(1909)、酒造りに科学技術を導入し品質の向上を成し遂げ、日本最大の酒造メーカーとなりました。
380年にわたって日本酒の文化を守り発展させてきた京都・伏見の代表的存在。本社のある伏見では、お酒の資料館「月桂冠大倉記念館」を公開。伏見の酒造りと日本酒の歴史をわかりやすく紹介するなどして、国内外から年間約16万人が訪れています。
今回は「月桂冠」広報課長の田中伸治さん(以下、T)にお話をうかがいました。
※本インタビューは2017年2月に行いました。
時代を切り拓く研究とマーケティングの力
ー 今年で創業380年と、日本酒業界の中でも屈指の歴史ですね。
T:おかげさまで、今年、創業380年を迎えることができました。創業の頃、伏見は伏見城の城下町として非常に発展し、宿場町、港町として変遷していった時代です。ちょうど街のウォーターフロントにあたる場所に当社が創業しました。当時はこの地域の方や旅人に酒を商う地酒の小さな蔵元として、250年位続いてきました。その後、明治時代に入って、清酒メーカーとしては初めての研究所を創設し、品質を高めていったことから「月桂冠」という酒銘が全国に知られていきました。
ー 流通量が急速に増えたのは、明治以降でしょうか?
T:明治以降ですね。明治期には生産量を500石から5万石にまで拡大、事業の規模を100倍にしました。研究所を創設すると共に、デザイナーを起用して瓶詰の色々な商品を開発し始めました。駅での販売用に「弁当と一緒にどうですか」と、コップ付きの酒瓶を考案したのもこの時代でした。
ー デザイナーのアイディアで色々なものが作られたのでしょうか?
T:そういった面もありますが、この時代に当主であった人物(11代目・大倉恒吉)が、明治という新たな時代の流れの中で、新しい取組みにチャレンジし続けていたという事が大きかったと思います。
鉄道がなかった時代、江戸の大市場に、灘(兵庫)の酒が外洋航路を使って大量に流通されていた一方で、内陸の京都伏見にとって条件は不利でした。それが明治に入って鉄道が走るようになってからは、全国に商品が供給できるようになりました。そんな中で「駅売りの酒」という事に着目した商品をつくり、鉄道が全国に広がっていくにつれて月桂冠の名前も広く知られるようになっていったのです。
(大倉家本宅)
ー マーケティングの効果ですね。
T:そうですね。日本酒の防腐剤が全廃されるのは昭和に入ってからなのですが、月桂冠では既に明治期、日本酒で初めて防腐剤の入らない酒を商品化していました。研究所の創設により、そのような事がいち早くできたのです。当時、台頭してきたサラリーマン層にも「月桂冠の酒には防腐剤が入っていないのか、これは健康的で良いな」というように認識されるなど、そうした意味でも当時の当主はマーケティングに秀でていました。
ー 380年間やられてきて、創業当時から大切にしている信念や考え方はありますか?
T:品質の高い酒を造ろうという事は、変わらない理念となっています。
現社長(14代目・大倉治彦)が、これまでの経緯や、事業を継承する中で受け継いできた暗黙知の価値観を集約し、会社の基本理念として「QUALITY」(品質第一)、「CREATIVITY」(創造と革新)、「HUMANITY」(人間性の重視)の3項目を掲げました(1997年)。中でも「QUALITY」が一番最初です。大吟醸酒、普通酒、どのようなジャンルの酒であっても、そのクラスで最高の品質のものを造ろうという事で、原料米も良いものを吟味して使っています。
ー お米はどちらのお米が多いのですか?
T:全国から仕入れていますが、特に京都府産は「京の輝き」「祝米」ほか多くの米を購入しています。兵庫県の「山田錦」、滋賀県の「日本晴」も使っていますし、これだけ商品がありますので、それぞれの酒のタイプ、酒質に応じて、最適な米を選んでいます。
ー 使用米については、農家さんと直接契約されているのでしょうか。
T:さまざまなケースがあります。例えば「村米」といいまして、「この地域のものは月桂冠で購入する」という契約を交わしている場合もあります。滋賀県では、酒粕を肥料に加工してお米を栽培し、そのお米で酒を造って、またその酒粕を肥料として返すという、循環型の農業と酒造りに取り組んでいる産地もありますよ。
ー 戦後、業界に先駆けて、一年を通して醸造可能な「四季醸造」というシステムを取り入れられていますね。同じ味を常に造らないといけないというのはすごく難しいと思うのですが…。
T:熟練した造り手により徹底的な品質管理を行っています。その技術を後世に伝承し続けるため、若い造り手にとっても多くの経験が積めるようにしています。「その年の米の作柄や気象により、結果的にこんな酒ができました」というやり方も良いのですが、当社の場合、例えばこの「上撰」という商品は、長年にわたってのお客様が全国に多数いらっしゃいますので、毎年変わらず、いつも安定した品質・味わいの酒が飲めるという事が非常に大事です。その品質をキープして全国に広く流通させるといった技術も持っています。
酒造りは米も大事ですが、各工程でどのようにコントロールしていくか、また、微生物ですので、タンク一本一本の発酵の進み具合も違いますが、それをいかに精緻にコントロールして、いかに美味しい酒を造るかという所が非常に大事です。弊社の造り手には、経験の積み重ねと、それを支える研究の裏付けの両方があって、それができていると考えています。
京都、そして北米から世界へと広がる日本酒
ー 国内に留まらず海外でも日本酒文化を牽引されていますね。
T:1989年に「米国月桂冠(Gekkeikan Sake (USA), Inc.)」を創設しました。アメリカの酒市場に新鮮な酒を届けるために、米国で酒を造り、販売しています。日本からの輸出と、アメリカでの酒造りとの両輪で、酒の文化を世界に広める役割を担っています。
ー 海外での酒造りはどのようにされているのですか?
T:日本と変わりません。酒造りに適した米が現地でも栽培されていますので、原材料は現地調達です。当社の酒蔵は、カリフォルニア州の州都・サクラメント近郊のフォルサム市にあり、そこは自然環境に恵まれ、非常に良い水が採取できる地域です。水と米という酒造りの条件が揃った場所で、日本で培ってきた四季醸造システムやその後開発した新規技術を備えた酒蔵を完成させました。
ー 今でこそ海外でも日本酒がポピュラーになったと思いますが、進出当初はご苦労もあったのではないですか。
T:元々、明治時代から海外輸出を行っており、当時、ハワイに出荷したという記録もありますし、20世紀の前半にも中国大陸や朝鮮半島で清酒を造り販売していました。近年でも、アメリカでは半世紀以上もの販売実績があり、実は海外歴は長いんです。
(公式サイトより)
ー それでは満を持して米国での酒造りを始められたのですね。
T:そうです。日本食ブームのアメリカでは、清酒の需要があります。もちろん日本ならではの商品は本社から輸出していますが、「フレッシュなお酒を米国で造って米国の消費者に販売しよう」との想いから始まりました。醤油やお酢、麺類など他の日本食品も、日本国内だけでなく、消費される現地で生産されることが、今では当たり前になっています。さらに米国内だけでなく、南米のブラジルなどに日系の方が多くおられますので、そちらの市場にも輸出しています。また同じ北米ではカナダでも酒の需要があります。
そして、欧州も今後大きな可能性を秘めています。今、ロンドンが酒文化の発信拠点として中心地になってきています。欧州市場への販売も含め、米国月桂冠が世界への供給基地になっているという事です。
ー お酒の味は、ローカライズされた味にしているのでしょうか?
T:いえ、ほぼ日本と変わらないです。すでに米国では、日本の本社にも負けない高品質の酒が造れるようになっています。
ー それは海外の方達も、日本の味を求めているという事ですか。
T:これが日本酒だという普遍的な味わいもありますし、現在は日本各地から様々な会社が出荷していますので、大吟醸という言葉も普通に使われるほどに日本の酒文化が浸透しています。そんな中、当社では米国の東海岸・西海岸の大都市だけでなく、中西部・南部など、まだ清酒がじゅうぶん流通していない所にまで販売しています。
日本のメーカーで現地生産されている会社も何社かありますが、多くは日系の販売店、日本食の卸売や小売会社と取引している場合が多いようです。一方で当社の場合は、米系の商社を総販売店として契約している事から、日本料理店に販売するだけでなく、スーパーマーケットもあれば、日系に限らずアジア系の飲食店に販売したり、ワインなどと一緒に酒類の一商材としてフラットに清酒が扱われています。その結果として、米国での市場を急速を広げる事に繋がりました。
ー 現地生産という事で、輸出品と比べて安く販売できるのではないですか?
T:日本とはお米の値段が全然違いますし、その分、日本から輸出したものに比べ、販売価格としては手頃になっています。米国内に広く普及させるという事で、酒文化の拡大に貢献できればと考えています。
ー 国内と海外の販売比率はいかがですか?
T:今、海外での販売は伸びつつありますが、月桂冠の海外・日本含めた販売総量のまだ2割弱ほどです。
海外発信という点では、2016年3月にインバウンドに特化した英文サイトを公開し、人気の伏見稲荷や酒どころの伏見桃山の魅力を紹介するなど、伏見への旅路をいざなう内容としています。
2017年1月には公式Instagramも開設しまして、全て英語で世界のフォロワーを増やし、「京都伏見に行ってみたい」「日本酒を飲んでみたい」と想起していただくことを目指して取り組んでいます。
ー これまでも四季醸造だったり、アメリカでのお酒造りであったりと、技術面でもマーケティング面でも様々な事に挑戦されてきたと思いますが、今後の展開についてのお考えを聞かせてください。
T:今、取り組んでいる方向性が4つあります。
1つ目は、日本酒というものをもっと深く耕していく、追究していくという事ですね。美味しい酒を醸造することにとどまらず、研究開発や技術的な管理も含む総合力を発揮して、品質をさらに高めることや、市場が求める商品づくりに取り組んでいます。2つ目は、今まで日本酒を造ってきた実績をいかして、日本酒以外のアルコール分野にも取り組んでいます。日本酒ベースのリキュールや梅酒、ノンアルコールのものなど、日本酒以外にも裾野を広げています。そして3つ目は、海外事業を拡充をしていく事。4つ目は、アルコールにとらわれない新規事業です。研究のシーズを生かして、麹菌の働きを利用した染毛技術で特許を取得し、大手化学メーカーとの共同研究により染毛剤を商品化するなど、バイオ技術をいかした事業も展開しています。こうした従来の日本酒造りで培ってきた技術を、次の時代に繋げていきたいですね。
【DATA】
「月桂冠(げっけいかん)」
所在地:京都市伏見区南浜町247番地